題  名 放送年 コ メ ン ト
鉄人28号 1963  横山光輝原作の、国産初のロボットアニメ。夜の街にガオーっと登場します。なぜ少年が鉄人を操縦するのか、どうして警察署長と仲良しなのか、すっかり忘れてしまいましたが、子供のころよーく見ていました。
 私は子供だったので感心してみているだけでしたが、少し上の世代の人は、操縦桿を握った人によって、良いロボットにも悪いロボットにもなってしまう、というところにしびれたそうです。
No Image ロボタン 1966  子供の時、ロボタンのハンカチを持っていました。胸に勲章がついていて、ドジで間抜けな、憎めない奴って感じでしたね。どんなお話だったか、さっぱり覚えていませんが、とても好きな番組だったのは覚えています。
 さすがにDVDもビデオもありませんでした。
デビルマン 1972  永井豪の名作、デビルマンは、ダンテの神曲をモチーフに、神と悪魔、人間の心の中の悪魔を壮絶な筆致で描き出した大作でした。それはいろんな作家、漫画家達に大きな影響を与え、現在でもリメイク版、実写版、新たなマンガなどいろんなメディアで再創造が続いています。
 アニメ化では、原作の厳しいテーマは薄められ、悪いデーモン族と戦うヒーローとして描かれています。永井豪の原作ですから、美紀ちゃんの入浴シーンや妖鳥シレーヌなど、色っぽいシーンもしっかり盛り込まれています。
 ♪あれは誰だ、誰だ、誰だ、あれはデビル、デビルマーン、デビルマン。♪誰も知らない、知られちゃいけない〜。主題歌もエンディングも名曲です。
マジンガーZ 1972  ロボットアニメの金字塔。マジンガーZのヒットによって、ロボットアニメというジャンルが確立されました。造形的には単純な筒がくっついただけで、あれで手足が動くはずがない、という批判には当たりません。そんなことはどうでもいいことです。兜甲児がパイルダーオン!し、ロケットパンチをぶっ放すのにしびれっぱなしでした。
 アフロダイエースのおっぱいロケットは、永井豪原作の面目躍如でしょう。
 毎回、敵のロボットが出てきて、マジンガーZにやられるというワンパターンでしたが、半分男で半分女のアシュラ男爵、ブロッケン伯爵など敵キャラも、立っていました。
新造人間キャシャーン 1973  最近実写でリメイク番が作られ、やけに重いテーマを背追った映画になっていました。このアニメも新造人間であることを隠しながら、人間のために戦うキャシャーンです。
 悲壮感漂うヒーローは抜群にかっこよかったです。必殺技の「超破壊光線」も滅多に使わず、いったん使うと猛烈にエネルギーを消耗するという設定が、悲壮感をいっそう高めてくれます。
 「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の男。鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば、誰がやる!」ワオーン。フレンダーの鳴き声が夜空にこだまします。私は、このせりふがアナウンスされるときには、テレビの前で一緒にしゃべっていました。う〜んしびれる。
ゲッターロボ 1974  ロボットアニメは、単純なロボットものから、合体ロボットへ。3体のメカが、合体してゲッターロボになり、どのメカが頭の部分に来るかで、形が違うロボットになります。オモチャメーカーからの要望だったのか、原作者の永井豪のアイディアだったのか、これもヒッとしました。ヒーロー・リョウ、クールガイ・ハヤト、番長で3枚目ムサシ、この3人の組み合わせは、つづくゲッターロボGにも引き継がれます。最終回でムサシが死んでしまったのには驚きました。子供心にもショックでした。正義の味方は死なないものだと、思いこんでいましたから。
 ムサシに変わってベンケイを仲間に加えて、ゲッターロボGが始まります。
 最近OVAで新しいシリーズが作られています。
UFOロボグレンダイザー 1975  マジンガーZの後番組で、一応マジンガーZと続いている、という設定だったような気がします。主人公が異星人で「デューク・フリード」という名で、どこかの星の王子様だったような気がします。「ジーク・フリート」なら伝説の英雄ですが。
 グレンダイザーで発進する時、UFOの中でなぜか1回転していました。子供心に「なぜ1回転するんだ」と疑問だったのを覚えています。
宇宙の騎士テッカマン 1975  タツノコテイストあふれるロボット(?)アニメ。西洋の甲冑をアレンジしたようなテッカマン(鉄仮面から取ったのでしょうか)が、長い槍(?)を振り回して戦う姿は、結構かっこよかったです。
 アフロヘアーの脇役が、斜に構えてニヒルなことを言ったりしながら、活躍したりするのが、いかにもタツノコプロです。
No Image 鋼鉄ジーグ 1975  日本古代史をモチーフに描いたSFロボットアクションアニメ。瀕死の重傷からサイボーグとして生まれ変わった司馬宙。彼はビッグシューターから射出されるパーツと合体し、古代よりの侵略者である女王・ヒミカの野望に立ち向かいます。
勇者ライディーン 1975  ロボット「ライディーン」が、「ゴッドバード」に変形するフォルムが秀逸でした。背中の部分がスライドして取りの頭の形になり、足が曲がってロケット部分になります。そしてそのまま敵に体当たりして倒すのですが、回転しながら変形するシーンは、いつ見ても感動ものです。チーフディレクター監督は富野喜幸(現・由悠季)キャラクターデザインは安彦良和と、後にガンダムで活躍するの二人が担当しています。
No Image 大空魔竜ガイキング 1976  ロボットの胸が顔?骸骨?になっているロボット。だからガイキングなのか。顔からビームを出していたような気がします。
 母艦の顔にも、骸骨がついていました。ストーリーはよく覚えていませんが、とにかく悪い異星人と戦っていたような気がします。
No Image 超電磁ロボコンバトラーV 1976  5つのメカが、超電磁ロボコンバトラーVに合体し、キャンベル星人の侵略マグマ獣と戦います。ガッチャマンで確立された、お約束ヒーローの形を完璧にしました。1ヒーロー、2クールガイ、3かわいこちゃん、4気は優しくて力持ち、5ちびで天才。この主人公達のパターンは、以後のシリーズにも引き継がれます。
 コンバトラーVでは、アニメ史上初めて、美形敵キャラが登場しました。オレアナとその息子ガルーダ将軍が、敵の攻撃部隊だったのですが、実はガルーダはオレアナが作ったロボットでした。自分の存在証明を求めて葵豹馬と一騎打ちに出るガルーダ。破れたガルーダは絶望し死んでいくところが、前半のハイライトでした。
 「ガルーダ様」は主人公達を越える人気を集め、適役はただ憎らしければよいという、常識を覆した作品でもあります。
 なぜかDVDになっておらず、ビデオはすべて在庫切れです。こんな有名な作品なんだから早くDVD化が望まれます。
No Image 超電磁マシンボルテスV 1976  コンバトラーVの後を受けて、始まった5体合体ロボットアニメ。5人の主人公達は、完全にコンバトラーVのパターンを受け継いでいます。
 敵役「ボアザン星人」のプリンス・ハイネルも悲劇の運命を背おった美形キャラで、人気を集めました。敵の侵略動機も、角のある貴族階級が、角のない人々を支配しているボアザン星人にとって、角のない人類を支配して当然だというふうに、人種支配を絡めるなど、奥の深いものになっています。
 余談ですが、ボルテスVは、当時フィリピンで放送され大人気を得、あまりの人気に当時のマルコス政権が、放送禁止にしたほどです。革命後、アキノ政権になって復活し、「アニメに名を借りた日本の侵略だ」という非難まで起こり、日本では一子供向けアニメとしてしか扱われなかったボルテスVが、フィリピンでは政治家まで巻き込んで、騒動を起こしていたんだそうです。
 コンバトラーVと同じくDVDはありません。
無敵超人ザンボット3 1977  進化するロボットアニメ、このザンボット3にはショックを受けました。主人公達が次々に死ぬ、という悲劇的な結末もそうですが、それ以上に「人間爆弾の恐怖」は今思い出しても、身震いします。普通の住民に爆弾を仕込もという戦略は、アニメの敵役がとる戦略を越えています。爆弾を仕掛けられた人達は、自分の爆発に他人を巻き込むのを避けるために、集団で迷惑のかからないところに行こうとします。恐怖から自分の家に帰ろうとする若者を、おじさんが引き止めて、無理矢理引きずっていこうとするとき、無惨に爆発が起こるシーンは、涙が止まりませんでした。
 巻き添えになった住民から、敵意を向けられる主人公達。それでも敵に立ち向かい、孤独で絶望的な戦いを挑み、そして最後には、みんなに受け入れられて大団円を迎えます。感動あるのみ。これを見ずして、ロボットアニメは語れません。
無敵鋼人ダイターン3 1978  悲劇的なザンボット3の後ということで、かなり楽天的な作品に仕上がっています。
 何でもできる有能な執事ギャリソンに支えられ、美人で色っぽくてグラマーなアシスタントを従えて、破嵐万丈は今日もダイターン3で戦います。
 ザンボット3に続いてガンダムで有名な富野由悠季。父の作ったメガノイドを倒すために戦っているという影の部分があるにもかかわらず、主人公万丈は明るく、運動神経抜群、自信満々、女性にモテモテ、スタイリッシュで前向きで、暗さのかけらもありません。作品のあちこちに、遊び心がちりばめられていて、通(オタク?)にはこたえられない作品です。
機動戦士ガンダム 1979  ガンダム世代という言葉までできた、ロボットアニメの金字塔。ガンダムからロボットアニメは戦争になりました。リアリズムを追求していくと、当然の成り行きかも知れません。主人公が操るロボットは、兵器になり。戦いの動機は、我々が住んでいる社会にありふれている、
 戦争です。開発者を父に持つ主人公は、否応なく戦いに巻き込まれ、軍人となります。地球の平和を守るためではなく、軍人として命令を受けて出撃するのです。これだけでも革新的でした。そうなると戦い方は、必殺技で敵と一騎打ちをするのではなく、実際の戦争のように、編隊を組んで奇襲をかける。敵の戦略拠点を叩く。補給路を断つ、といった戦術的なものになります。ロボットアニメで1話完結の形を取るため、敵のロボットと一騎打ちをすることもありますが、単発の作戦として描かれています。
 そしてもっと革新的な「ニュータイプ」の出現。以後アニメファンは「自分はニュータイプだ」と思いこむようになりました(?)。
 土曜日の夕方という放送時間帯で、視聴率も伸びなかったと記憶していますが、当時高校生だった私は狂喜してみていました。文化祭で、ガンダムの張りぼてを作ったのが、いい思い出です。
 これだけ有名な作品なのにTVシリーズのDVDはありません。劇場用映画のために作られた3本の総集編のみです。
伝説巨神イデオン 1980  ガンダムの後はなんだ?。イデーだ、哲学だ。
 地球人と異星人バックフランのファーストコンタクトものとも言えます。降伏のつもりであげた白旗が、バックフランには徹底抗戦の意思表示になる所など、異文化人同士の衝突の皮肉さをよく表現しています。
 主人公達は、遺跡を発掘して手に入れたイデオンで、バックフランの攻撃をかわしながら、当てのない逃亡の旅を続けます。
太陽の牙ダクラム 1981  イデオンの後を受けて始まったロボットアニメ。ロボットアニメでは初めて、主人公がゲリラになって戦います。
 連邦評議会議長を父に持つクリンは、父の圧政に反発して反政府ゲリラとなります。クリンと父との確執も一応描かれていますが、反政府ゲリラに走らせるほどの反発があるようには思えませんでした。その点はちょっと弱いかなと思いますが、それは私が子供の父となり、父の視点で見ているからかも知れません。
聖戦士ダンバイン 1983  富野由悠季監督が、思いの丈をぶちまけたような作品。海と地の間にあるという「バイストン・ウエル」で繰り広げられるおとぎ話です。
 バイストン・ウエルの領主ドレイク・ルフトと反逆者ニー・ギブンの争いに、地上人である主人公ショウ・ザマが巻き込まれていきます。ショウはバイストン・ウエルの昆虫型ロボット、オーラ・バトラーを操る力を持っているため、バイストン・ウエルから呼び寄せられてしまったのです。同じく地上から呼び寄せられた少女マーベル・フローズンに「なにも知らずにドレイクに協力する大馬鹿者」と罵られたりしますが、自分の生きる地はもはや地上にはないと悟ります。ショウが東京に戻るところやそこでの親子関係など、見応え十分です。富野監督仕込み(?)のとってつけたような決めぜりふなど、ついつい引き込まれてしまいます。
重戦機エルガイム 1984  ダンバインに続く富野由悠季監督の作品ですが、富野色フル放出だったダンバインとは違って、エルガイムではいわゆるドロドロした戦争描写は押さえられています。
 ペンタゴナ太陽系の辺鄙な惑星コアム。そこに青雲の志を持った二人の若者「ダバ・マイロード」と「ミラウ・キャオ」がやってきます。その後盗賊と一緒だった「ファンネリア・アム」を加えて冒険が始まります。
 エルガイムとは、ダバがの父が作ったヘーヴィーメタル(ロボット)でこれを駆って主人公が活躍するわけですけど、音楽的な名前といい、そのスマートな形といい、メカニックデザインの若く新しい面が前面に出ています。
 物語に「リリス・ファウ」という妖精(?)が出てきますが、これがダンバインのチャム・ファウにそっくり。誰が見ても富野監督が「エルガイムの話は、ダンバインと関係があるんだ。ペンタゴナワールドはバイストン・ウエルなんだ」と言っているような気がして、つい深読みしてしまいます。敵役の「ギャブレット・ギャブレー」が人を食ったようなキャラで、美形でありながらギャグもかましてくれます。
新世紀エヴァンゲリオン 1995  世の中にエヴァ現象まで引き起こした、庵野秀明監督の問題作。この作品でヒロインの綾波レイは、「女の子と包帯」という新たなフェチズムを作りだし、日本全国の健全な青少年の心に、くさびを打ち込みました。
 エヴァの特徴の一つは、その壮大な世界観にあります。正体不明な敵「使徒」南極で起こった「セカンド・インパクト」。エヴァの発掘。サルベージ。死海文書。など、リアルでありながら、説明が省かれ、見る者はよく分からないまま放置されます。それがかえって社会の不条理さを印象づけられ、物語の雰囲気を高めています。
 主人公、碇シンジは、現代の少年らしく、まだ自分というものが何者なのかわからず、不安の中で悩んでいます。物語は主人公をとことんまで追いつめ、シンジがキレたときエヴァが発動し、信じられない力を発揮します。登場人物の人間関係も、ドロドロしたものでいっぱい。みんなが暗い過去を背負っています。救いようのない物語なのですが、TVシリーズは、明らかに途中で切られたような印象で終わってしまいました。
新世紀エヴァンゲリオン1997年春「シト新生 Death&Rebirth」、1998年夏「Air まごころを君に」 1997  物語に決着をつけるために、その後を受けて、2本の映画が作られました。「シト新生」は、ただの総集編と言ってもいいでしょう。多用される切り刻まれた映像と人為的に物語を前後させて挿入する手法は、多少効果を上げてはいましたが、こう多用されるとうっとうしいです。続きの物語を期待して見に行った私は、しっかり裏切られました。
 そして、最後に劇場用映画として、TVでは放送されなかった25話「Air」、26話「まごころを君」が作成されます。特務機関ネルフは、存在意義の消滅により自衛隊による攻撃を受けることになります。次々に倒れるネルフ職員のなかで、シンジはエヴァで出撃。無惨に破壊されたアスカを見て逆上(?)。新たな魂の補完が始まります。ここで出てきたのは綾波の幻。雲を突くような巨大綾波が出てきた時は、緊張感がキレてしまって、思わず笑ってしまいました。渚に流れ着いたシンジのそばには、アスカが。アスカの首を絞めるシンジが、なにを表現しているのか、私にはさっぱり分かりませんでしたが、なんだか最後まで救いのない物語でした。
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